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【はじめに】
最近になって、健康のありがたさを重視し、それを増進しようという意識が高まってきて、いわゆる健康ブームという現象が起こってきた。
健康ブームそのものはたしかにいいことだが、医学的に見ると問題が多い。たとえば、運動不足が健康を損なうからといって、マラソンでも何でも、がむしゃらに運動すればいいのかというと、これは大きなまちがいなのである。筋肉を鍛えるのが健康と思っている人さえいる。無理な運動をすれば逆効果になってしまう場合はきわめて多いのだ。

運動の目的は何か、健康作りをめざすためには、どういう運動をするのがよいか、自分の運動経験や適性、体力、年齢などについてチェックなしにはじめてはいけない。

ガンに効くといえばシイタケを常食にしたり、健康に役立つといえばニンニクを食べたりして、これでだいじょうぶと自己満足する。これほど健康に関心を示している反面、タバコや酒を飲み、夜ふかしする生活を変えようとしないアンバランスな人間があまりにも多い。
タバコや酒がぜったいにいけないということではない。
要は、健康を求める意志と態度のギャップを埋めていくことにあるのだ。

ここらでもう一度原点に立ち返り、健康哲学を考えてみる必要があるだろう。

「上医、中医、下医」という言葉を聞いたことはないだろうか。これらは昔の言葉であるが、下医は病気も治せないヤブ医者であり、中医は病気を治す医者、そして上医は病気にかからないような工夫をしてくれる医者を指している。
また下薬、中薬(健康)、上薬(長生)という言葉もある。

今日でも、病気を治してくれる医者はいるか、病気にならないように考えてくれる医者は、はたしてどれだけいるだろうか。

実際には現在の医療が予防よりも治療一点張りに近いため、上医を望むことが、そもそも無理なのかもしれない。
そのため、医学と医療技術がこんなに発達した現代だとはいえ、病気にならないようにするためには、自分自身の注意と努力でカバーするしかないのである。

ところで、健康に対する考え方にもいくつかのタイプがあり、「あしたはあしたの風が吹くさ、何とかなるだろう」という無関心タイプと、ちょっとした体調の変化でもすぐ大病になったように思い込む小心翼翼のタイプとに大別できる。
前者は無関心で太く短い人生を豪語しているものの、ひとたび病気になると、はじめて「後悔先に立たず」と、病床でほぞをかむことが多い。
また後者は、常にクスリびんを片手に、いつもマスクをかけた生活を送っているようなものである。
こういう人は、体について、また薬についてあれこれと知っているが、そのために、自分が作り出した病気の幻影にとらわれ、そこから抜け出すことができないのである。
つまり健康に関する評価が、一方は過少で、一方は過大なのである。健康について考え、実行しようとする際には、これらの偏見を捨ててかかること、――つまり無からスタートすることが、まず必要なことである。

多忙すぎる現代人が運動を始めようとする場合、短時間で効果があり、体力も必要としないもの、できるだけ簡単なものを選ぶのがよいが、ポイントは、長く続けられるものを選ぶということである。あれもこれもと欲張っていろいろな健康法を始める人が多いが、それでは、結局何もしないのと変わりない。
これらのことを考えると、中国五千年の歴史の中で育まれ完成されてきた導引術は、特別な場所も時間も道具もいらず、体力も必要としない。
導引術の始祖ともいうべき老子の教えは「自然無為」につきるのだから、あまり無理な運動ではないのだ。また、その効果は本書で詳しく述べるように、実に多方面にわたっているので、超多忙な時代に生きる私たちには、とっておきの健康法といえるのである。

この本では、導引術の中で、とくに心と体とのバランスをとるうえで大切な瞑想健康法に役立つものをとりあげて教えたい。

早島正雄

(心と体を強くする 気の瞑想術 まえがきより抜粋)